【お金の始まりは何か】

経済分野

どうもminiいけ先生です。

経済分野のスタートは、貨幣・通貨について見ていきたいと思います。

実は、「お金」の始まりは諸説あることを知っていましたか?

物々交換が主流だと考えられていましたが、最近では別の学説が出てきています。

この記事ではお金の起源について考えたいと思います。

記事を読み終えると、現代社会における「お金」というシステムについて詳しく知ることができます。

そもそもお金って何?

さて、みなさん「金儲け」と「投資」こういう風に聞くとどのようなイメージを持つでしょうか?

M治大学商学部の学生に聞いたところ、8割の学生が投資は汚いことだ・金儲けは悪いことだと回答したという話があります。

果たして本当に汚いものなんでしょうか?

miniいけ先生はお金が大好きです。

といっても「そもそもお金ってなんやねん」ていうが分かっていないと経済分野がスタートできません。今回は貨幣の根源を探っていきます。

この記事でわかること

①商品貨幣説
②信用貨幣説
③国定信用貨幣説

物々交換から始まった?(商品貨幣説)

お金が生まれる前は「物々交換」を行っていたという説があります。
これを「商品貨幣説」といいます。

商品と商品の交換にあたって仲立ちをするものを「貨幣」といいます。

物々交換を円滑に進めるために、交換したい人が広場に集まって、より交換を効率良くしていきました。のちに市場(いちば)と呼ばれるようになります。この物々交換には米や麦などの穀物、家畜などがありました。これらを物品貨幣といいます。

ただし物品貨幣にはデメリットがあります。

  1. 腐る
  2. 重い
  3. かさばる
  4. 運ぶのが大変
  5. 貯蔵するのに不便

魚や肉の場合は腐るし、わざわざ運ばないといけないから重い、かさばる、運ぶのが大変、貯蔵するのに不便だ…などと様々な問題が発生しました。

そこで「貨幣」が誕生します。

初めは貝殻などが使われていたと言われています。漢字の中でお金や財産のことを表す「財」「貯」「買」「貨」「贈」「賭」などの文字には、どれも「貝」という字が使われています。これは、古代の中国で貝殻がお金のかわりに用いられていたからでした。

のちに希少性の高い金・銀・銅などが主流となっていきました。

のちに銀などを秤(はかり)にかけてその重さで価値を定めた秤量貨幣とよばれるものが誕生します。

金属をいったんドロドロにして品質や重さを統一した計数貨幣とよばれるものもつくられました。

このように「貨幣とは市場に参加する全員が価値を認める一番人気の商品が変形してできたもの」という学説が商品貨幣説です。

商品貨幣説に関して、分かりやすく学びたい人にオススメの本が「インベスターZ マンガでわかるお金の教科書」です。お金に関して漫画も交えて分かりやすく解説してくれています。

先ほど紹介した物々交換を起源とする商品貨幣説は、最近、人類学者によって否定されています。
「原始社会では物々交換がほとんど行われていなかった」
「物々交換を示す証拠がない」というものです。

では、ほしいものが手元に無い場合どうしていたのかというと、「借りパク」していたのです。皆さんもしたこと、されたことがないですか?

貸していた漫画が返ってこない、借りていたゲームソフトが何年後かに出てきたなどです…。

現代でもこのようなことが起きていますが、古代では借りパクされる側も、どうせ後で必要になれば勝手にもっていけばいいので気にしなかったようです。
お互いで余ったモノや必要なモノをシェア(共同所有)していたということです。
ということは、この時代には貨幣というものは必要ないですし、存在しません。

貨幣はもともと借用書?(信用貨幣説)

生産経済がスタートすると不動産の所有・余剰生産物の発生などから貧富差・身分差が発生し、階級社会へと変化していきました。
さらに、農業などで人口が安定的に増えてきてコミュニティが大きくなり、コミュニティ同士が余剰生産物を奪い合う戦争もたびたび起きるようになりました。

このように経済が発展するなかで、「借りパク経済」だと誰が誰にどれくらい借りていて、誰のモノなのかが分からないというのは問題になります。
そこで、「後でこれを私に渡せば、うちの品物と交換しますよ」という負債証明書を渡して品物を受け取るというシステムが現れた、と推測されています。

これが信用貨幣説です。

たとえばDさんが米を必要とするときに、Aさんは米と交換できる借用書を発行します。
その借用書には「Dさんが春になると野菜を渡すことを約束する」と書いています。
この場合、AさんがDさんに対して「信用」を与えるとともに、DさんにはAさんに対して「負債」が発生しています。
そして、春になってDさんがAに野菜を渡した時点で、Dさんの「負債」は消滅するわけです。

口約束では証拠が残らないので、「借用書」をつくりました。
これが貨幣の始まりとするのが信用貨幣説です。

AさんとDさん以外に、鎌を持っているBさん、木の実を持っているCさんがいるとしましょう。
Bさんが「Dさんは約束を守るヤツだ」と思っているとともに、「春に野菜がほしい」と思っていれるとしましょう。Aさんは野菜より鎌がほしいと考えています。AさんはDさんからもらった「春に野菜を渡す」という「借用証書」をBさんに渡して、稲作に必要な鎌を手に入れることができます。

さらに、Cさんも「Dさんは約束を守るヤツだ」「野菜がほしい」と思っているとします。Bさんは「野菜より木の実がほしい」と思ったとしましょう。Bさんは「借用証書」をCさんに渡して木の実を手に入れることがでます。

その結果、Dさんは「春に野菜を渡す」という債務を、Cさんに対して負ったということになります。そして、春になってCさんがDさんから野菜を手に入れれば、Dさんの「借用証書(負債)」は破棄されるわけです。

米と野菜を同時に交換する「物々交換」であったならば、取引が一瞬で成立するので、「信用」や「負債」は発生しません。
そして、そこには「借用証書」=「貨幣」も必要とされないということになります。
貨幣を創造するとは、負債を発生させることだということなんです。
信用貨幣説では手形(一定の期間後に支払うことを約束して発行するもの)のことを一種の通貨と考えるのです。

貨幣は国が強制したもの?(国定信用貨幣説)

政府が発行して税金として回収するものが貨幣だ!という学説を国定信用貨幣論といいます。

古代の世界では、政府は官僚や兵士に対し、あらかじめ徴税して倉庫に貯め込んでおいた財物(米・麦・布・絹など)を給料として手渡していました。
しかし、政府にとって米・麦・布・絹などの現物支給は、変形したり腐ったりする可能性があり、とても不便なシステムでした。

そこで政府は、給料を金属でできた貨幣に切り替えることにしました。
金属というのは変形しにくく腐らないので、倉庫にいつまでも貯め込むことができます。
政府は、金属貨幣を給料として与えつつ、貨幣で納税することを国民に強制することにしました。
これで国民にとって法定通貨が「納税義務の解消手段」としての価値をもつことになります。

このような国による強制的な使用によって流通したものが貨幣であるという考えが国定信用貨幣説です。

さらに、信用貨幣説の考え方をである貨幣を創造するとは、負債を発生させること」を適用する政府の発行する貨幣は負債ということになります。
日本銀行のバランスシート(貸借対照表)でも、発券銀行券である通貨は右側の負債の方に含まれています。

商品貨幣説 VS 信用貨幣説

貨幣の始まりは物々交換による商品貨幣説だ!
いいや、物々交換なら交換して終了だ!国が信用を強制した国定信用貨幣説だ!
この2つの説で激しい論争が起きています。

古代日本の律令制度では布が貨幣として扱われました。

商品貨幣説による説明布は衣服の素材として需要が高く、誰にも愛される商品である。布でできた服はとても快適で、皆が価値を認める。ゆえに物々交換の基軸となり、貨幣となっていった。
信用貨幣説による説明>
「布そのものの価値」だけでは広く流通した理由が説明できない。布を全く欲しがらない人も一定の割合で存在する。古代日本は租・庸・調という税制であった。その中に「布を納税せよ」というものがある。布には、納税義務を果たせるという国定信用貨幣としての要素、つまり付加価値があったから、貨幣として流通した。

両者ともに興味深い考え方ですね。
この決着はつくのでしょうか?今後の論争にも注目していきましょう。

<まとめ>

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